講談社現代新書作品一覧

ラカンの精神分析
ラカンの精神分析
著:新宮 一成
講談社現代新書
フロイトを再発見した独自の思想を読み解く対象aは黄金数である――ラカン晩年の言葉を手がかりに辿る構造主義精神分析の本質とその人生の軌跡。ある数式に象徴される主体と言語の存在構造を鮮やかに描く。(講談社現代新書) フロイトを再発見した独自の思想を読み解く対象aは黄金数である――ラカン晩年の言葉を手がかりに辿る構造主義精神分析の本質とその人生の軌跡。ある数式に象徴される主体と言語の存在構造を鮮やかに描く。
電子あり
日本の奇僧・快僧
日本の奇僧・快僧
著:今井 雅晴
講談社現代新書
生死を越える達観、悠然火中に赴く剛胆、修行が生む力(スーパーパワー)。道鏡、文覚、一遍、一休、快川等、日本の僧侶(アウトサイダー)たちの不可思議な魅力。 「一休ばなし」は何を語っているか──颯爽(さっそう)と生きて、しかもひとつひねった発言。民衆はしだいに一休にひきつけられていった。……京都に喉の病気を治す秘伝の方法を知っている老人があった。一休がぜひ教えてほしいと頼むと、「よろしい教えましょう。ただしこれは家伝来の秘法なので、決して他人に話さないと約束して下さい」という。一休は約束し、その秘伝の方法を教えてもらった。ところが、一休はその内容を立て札に書きつけて各地に立てたのである。先の老人が怒ると、「話さないと約束したが、書かないと約束した覚えはない」と答えたという。秘密主義・秘伝主義への批判である。……次のような話もある。京都の町の家々では、正月の三が日には表戸を閉めることになっているという。これは一休が髑髏(どくろ)を竹の先につけて、「ご用心、ご用心」といいながら一軒一軒のぞきこんだからである。……一休は、明日の命をも知れぬ人間社会の無常を突きつけて、生死を越える世界に目を開いてもらいたいと考えていたのである。──本書より
ウィ-ン・ブルジョアの時代から世紀末へ
ウィ-ン・ブルジョアの時代から世紀末へ
著:山之内 克子
講談社現代新書
環状道路(リングシュトラーセ)建設を機に急激に近代都市へと変貌したウィーン、そして19世紀末へと至る転換期に経済・文化の中核を新たに担った市民たちの「日常」を復元する。 市民的価値の代弁者──建物の建築作業が進むにつれて、リングシュトラーセという呼称は、単なる環状道路としての意味をこえて、この道路の両側に構築されていった都市空間を指す、一種の固有名詞として使われるようになった。とりわけ市民たちにとって、この新しい市街区は、合理主義、能力主義、企業家精神などの、市民的価値と理想そのものの象徴となり、ここに暮らすことは、やがて、社会的なステイタスを意味するようにさえなったのである。……リングシュトラーセの建築主たちは、豪華なアパートメント・ハウスを通じて、市民のだれもが抱いていた理想をウィーンの社会全体に華々しくアピールして見せた、まさしく、市民的価値の代弁者だったのである。──本書より
流通列島の誕生
流通列島の誕生
著:林 玲子,著:大石 慎三郎
講談社現代新書
庶民層の需要が高まるにつれ、江戸期270年の間に流通網は発達し、政治の世界をも動かした。江戸期の商品流通を分析。 横のつながりを生む流通――荘園制の社会では貴族・寺社の生活物資が強制的に年貢として徴発されたのであるが、米・貨幣を庶民層からとりあげ、領主層が家禄として分配するため、年貢米をほとんど貨幣に変えねばならなたかった江戸時代は領主層も流通に関心をもつ必要があった。なお、庶民層は農民・町民すべてが自ら働き、諸物資の生産・流通を行ったのであって、そこでは階層間の差はあれ、横のつながりが重視されたのである。その意味で、社会の大多数を占めた庶民層の需要にもとづく流通は、270年ほどの江戸時代の間に大きく変化し、武士が握っている政治の世界をゆり動かす力にもなっていったと思われる。私はこの横のつながりとして流通の問題をとりあげてみたい。――本書より
自分をどう表現するか
自分をどう表現するか
著:佐藤 綾子
講談社現代新書
表現されない実力や心は、ないも同じ。なのに表現下手はなお続く。信頼や愛情を勝ちえ、相手の意見を変えさせるには?言葉・表情・身ぶりなど、魅力的な自己表現を追究する。 顔の表情がすべてを決める――アイコンタクト(見つめ)とスマイルを中心とした顔の表情は、実は、言葉の伝達効果をくつがえしてしまうくらい重要な意味をもっているのです。ある言葉を言う時に、1.言葉そのものと、2.声の調子などの周辺言語、3.顔の表情、の三者の組み合わせをそれぞれ変えてみて、聞く人の受け取る好感と反感を調査した「好意の総計(トータル・ライキング)」……は次のようになりました。好意の総計=言語7%+声などの周辺言語38%+顔の表情55%……ある感情を伝えるのに一番大きな役割を果たしているのが、顔の表情であることは事実だと言えます。結婚式のスピーチを頼まれて挨拶する時に、言葉の練習はするのに顔の表情までは考えていないという人が、日本人では大半を占めることでしょう。けれども右の結果からしても、鏡に映したり、ビデオに撮ったりして、言葉に顔の表情をつけて練習することをお勧めします。――本書より
ジャン・コクト-
ジャン・コクト-
著:高橋 洋一
講談社現代新書
詩・小説・評論・絵画・映画・演劇・バレエ──ジャンルを越え、時代を刺激する表現者ジャン・コクトー。特定の運動に与することなく幻視を追求した芸術家の足跡を辿る。 シネマトグラフ──光というインクで表現すること──コクトーは、自分の映画を呼ぶとき、一貫してシネマという短縮語を峻拒し、シネマトグラフと言う。(中略)ここで気づくのは、コクトーは一般に映画を指す〈シネマ〉を大衆の単なる気晴らし、娯楽ととらえ、思想、芸術の伝達手段としての〈シネマトグラフ〉と明確に峻別していることだ。詩人にとっては、シネマトグラフは、インクと紙によって自らの思想を表現する代わりに、〈映像という目に見える言語〉で自らの思想を伝達するための装置なのである。詩、舞踊、音楽、演劇などの伝統芸術よりはるかに若い芸術ではある(コクトーは、たびたび、映画と自分は同じ年齢だと言っている)が、詩人は、その芸術としての可能性を高く評価し、シネマと比しての血統の良さを示すためにシネマトグラフ呼ぶのである。──本書より
私の万葉集(三)
私の万葉集(三)
著:大岡 信
講談社現代新書
一千年の彼方から、人々の生の息吹きと心の機微とを今に伝える古代詩華集『万葉集』。深い愛をこめ現代詩人が読み解く、シリーズ第3集。 万葉びとの息吹きを伝える――私はこの本で、ひとつには万葉時代の人々の生の息吹きを、可能な限り現代に伝えたいと思っています。そのためには、まずもって、一首一首の作品の現代語訳に力を注ぐことを心がけています。同時に、私の鑑賞文もそのものも、いわば当り前の人間生活を、ごく当り前に現代人の前にくりひろげるだけでよろしい、という考えのもとに、できるだけ平易に書こうと念じていて、口語体で書いているのもその考えからにほかなりません。私はまた、『万葉集』がいかにすぐれた詞華集であるとはいえ、平安時代以後の日本の文明・文化とはまるで違った、空前絶後にユニークな文明・文化の産物とはまったく思いません。この本の随所で、平安朝以後の詩的産物とのつながりを強調しているのもそのためです。――本書より
鎌倉新仏教の誕生
鎌倉新仏教の誕生
著:松尾 剛次
講談社現代新書
法然、親鸞、道元、叡尊ら続々登場した祖師は何を救済しようとしたのか。“官僧・遁世僧”という独自の視点から解く。 遁世僧の成立――本書のメインテーマは鎌倉新仏教だというのに、なぜ官僧の話をまずとりあげたのか。実は、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元、明恵、叡尊といった、私見では鎌倉新仏教の祖師と考えられる人たちが、いったんは官僧となったことのある僧侶だからであり、かつ、官僧集団との対立・協力関係を通じて、自己のあるべき道を見出していった僧だからである。すなわち、彼等は官僧の世界で自己をみがくとともに、官僧の世界の在り方に不満を持ち、官僧の特権と制約から離脱して、新しい教えをひらいたのである。いわば、官僧たちの世界は、鎌倉新仏教の母胎であったといえる。――本書より
アガペ―の愛・エロスの愛
アガペ―の愛・エロスの愛
著:ガラルダ・ハビエル
講談社現代新書
愛するとはどういう行為か。一見別物に見える性愛も親切も、自分を意欲的にし、他者に働きかける点で、同じ愛である。一体化を求める対話的行為としての愛を考える。 愛における一体化、一体化による生命――セックスは楽器であり、愛は音楽である。セックスは愛の音楽をつくる楽器である。純潔は、愛の音楽を作る声である。「心は形を求める。形は心をすすめる」という広告があったが、2人の恋愛感情は性的な一体化という形を求めるが、その形は自然に、愛における一致、一致による生命という心をすすめることになる。ところが手段であるべきはずのセックスが、そこから得られる快楽そのものを目的とするようになると、セックスは精神的なエロスから離れて、愛をすすめない欲望になる。この自己中心的な欲望は、結局、肉体的な緊張とその緊張からの解放感を味わおうとする快楽にすぎないものになる。それとは反対に、アガペーとエロスに満ちたセックスは、お互いの体と心を満たす全人的な一体化をすすめるものである。――本書より
ホロコ-ストの罪と罰
ホロコ-ストの罪と罰
著:ミヒャエル・ヴォルフゾ-ン,訳:雪山 伸一
講談社現代新書
ナチス・ドイツが、ユダヤ民族に対して犯した罪は永遠に続くのか。歴史的犯罪を軸に、緊張と波乱のなかで展開してきた両国の軌跡を問い直す。 「過去の克服」――当時すべてのドイツ人に罪があったわけでも、すべての日本人に罪があったわけでもありません。集団の罪というものは存在しないし、過去の罪あるいは苦しみは、決して世代を越えて相続されるものではありません。しかし同時に、歴史的賠償義務というものがつねに存在し、どの国民もこの義務から逃れることは――個人的にも集団的にも、道義的にも政治的にも経済的にも――できないのです。これが歴史的な診断です。この診断に対して、ドイツはある治療法を取ることに決めました。「過去の克服」と呼ばれる治療法です。――本書より
「死霊」から「キッチン」へ
「死霊」から「キッチン」へ
著:川西 政明
講談社現代新書
戦後50年、日本文学は何を表現してきたか。埴谷雄高、武田泰淳、大岡昇平ら戦後の廃墟に登場した文学者の活躍から、大江健三郎を経て、村上春樹、村上龍、吉本ばななの新世代に至るまで、多彩・多様な表現を生みだした作家と作品の世界を眺望する。 一緒に読もう――戦後50年の日本文学は、激動する時代とともに歩みながら、独自な世界のかたちを与えることで、1つの時代が終っても、消滅しない作品を残しつづけてきた。埴谷雄高と安部公房と大江健三郎と村上春樹とは、まったく別な世界の上にいるのではない。同じ世界の上にいるのだが、それぞれの世界へのかたちの与え方が違ってきているのだ。すっきりして、すがすがしく、エロティックな村上春樹に惹かれる読者にとっては、埴谷雄高や安部公房や大江健三郎は、重苦しく難しい文学と感じられるだろう。しかし埴谷雄高、安部公房、大江健三郎が世界へ通じる新しい通路を開いてきたからこそ、現在、村上春樹によって新しい通路が開かれつつあることが認知できるのだ。――本書より
ドラキュラ誕生
ドラキュラ誕生
著:仁賀 克雄
講談社現代新書
世紀末の大英帝国に誕生して以来100年、世界中の人々に恐れられ、かつ愛されつづけてきた不滅のモンスター〈吸血鬼ドラキュラ〉。その魅力のすべてがこの1冊に。 母からの賛辞――「この本はあなたの今まで書いたものの中でもとびきり優れています。ストーリーやスタイルは非常にセンセイショナルで、エキサイティングで興味深い。あなたは現代作家の中でかなり高い地位を占めると痛感しています。ロンドンの新聞でたくさんの「ドラキュラ」批評を読んだが、まだ物足りません。これは紛れもなくシェリー夫人の「フランケンシュタイン」以来の傑作であり、独創性や恐怖であなたの作品に優るものはありません――ポオなど問題にもなりません。私はこれまでに数多くの本を読んできましたが、このような本には1度も出会ったことがありません。この恐るべき刺激性は広範囲の評判を呼び、あなたに多大の収入をもたらすことになるでしょう」――本書より
鎖国=ゆるやかな情報革命
鎖国=ゆるやかな情報革命
著:市村 佑一,著:大石 慎三郎
講談社現代新書
「鎖国によって日本の文明化は遅れた」ことが定説となっているが、事実か? 幕府は海外の情報を独占・管理し、それを的確に解析できるシステムを作った。江戸期の情報管理を再評価する。 「発信」と「受信」――いわゆる「鎖国」以来、幕末まで二百数十年の江戸時代は、これまで、世界の情報から取り残された時代という観点から、とかくネガティブにとらえられることが多かった。しかし果たしてそうであったのであろうか。…… 江戸時代においては、それまで未知の国であった「ヨーロッパ」に関する海外の情報を的確にとらえ、同時に今日の情報化社会へのインフラストラクチャー(社会的基盤)が、徐々に形成されつつあったように思われる。…… 「鎖国」は、いわば日本が情報の「発信」を停止した時代であり、海外からの情報を丹念に「受信」していた時代である。しかも、その中心は、それまで未知の国であったヨーロッパに関する情報を「受信」することにおかれていた。――本書より
読む技法・書く技法
読む技法・書く技法
著:島内 景二
講談社現代新書
よき読み手から、よき書き手をめざすための実践的ノウハウを伝授。 より速く、より深く、的確に本を読むにはどうするか。読書によって蓄積した知識・情報・素材などを文章表現にどう生かせばよいか。 「読み手」から「書き手」へ──主体的に読書するとは、陳腐な表現かもしれないけれども、「本を読みながら考える」、あるいは「考えながら本を読む」という姿勢のことである。この時に「考えた」ことを、読書が終了した時点でうまく集計して整理すれば、そのあとで自分なりの文章を執筆するのに十分な栄養源となるに違いない。読みながら考える姿勢は、読書している間中、読み手と書き手とが激しく格闘していることを示している。「読み手」から「書き手」への変貌は、じつは、そもそもの読書の段階から始まっているのだ。読むことは、絶えず「書く」ことと同時進行しなければならない。2つの行為は、二人三脚のような関係なのである。──本書より
ドイツの秘密情報機関
ドイツの秘密情報機関
著:関根 伸一郎
講談社現代新書
ナチスの時代から敗戦、分裂、冷戦と続く中、陰で政府に関与してきた情報機関のしくみと実態に迫る。 東西ドイツの狭間で──東西ドイツの統一により、いかに西側スパイの諜報活動が正確なものであったかが証明された。特に、東ドイツの軍事秘密道路網のルートや、弾薬庫の情報は完璧だった。こうした情報収集活動は、スパイ衛星観測によるものより、東ドイツや東欧ブロック向けの遠距離トラック運転手からのナマ情報が大きな役割を果たしていた。……西側の雇い入れた運転手への報酬は、わずか30マルク程度の低賃金だったが、その効率は良かった。彼らは、相手側の戦車の機種など最低限の予備知識をもって、東欧諸国の顧客に製品を輸送するかたわら、東側の軍事情報を偵察した。──本書より
行革と規制緩和の経済学
行革と規制緩和の経済学
著:吉田 和男
講談社現代新書
国債残高200兆円。もはや日本財政は破綻した。きたるべき高齢化社会に向けて、何を改革すべきか。 新しい財政に向かって──21世紀を展望すると、わが国が直面せざるをえない高齢化、国際社会の中の責任、その中で国民生活の質を向上させ、将来により大きな可能性を拡大して行くための投資を行っていく必要がある。これは基本的には民間の経済力に依存するものだが、多くは財政に期待される役割である。言い替えれば国民はより大きな犠牲を覚悟しなければならない。社会主義は社会目的達成のために計画経済を導入したが、結局、角を矯めて牛を殺してしまった。ヨーロッパ各国も福祉社会という重税国家となって微妙な位置にある。後発国としての日本は同じ轍を踏まないように、積極的な改革によって時代に適合した財政制度を作って行くことが必要であり、財政から私益の追究を排除して行くことが求められる。──本書より
貧農史観を見直す
貧農史観を見直す
著:佐藤 常雄,著:大石 慎三郎
講談社現代新書
むしろ旗を立てて一撥を繰り返す“貧しき農民たち”は事実か? 年貢率、生産力のデータを検証し、江戸期の「農民貧窮史観」を覆す。 飢餓問題の本質――江戸時代における在来農法の生産力水準は、近代農法と比べても決して見劣りしているわけでなはく、一定の生産力を確保していたのである。むしろ、飢餓問題の本質は、幕藩領主の支配領域が錯綜していたことになる。つまり幕藩領主の農民救済策や藩外への穀物の移出を禁じた津留などの制度上の側面、さらには輸送手段の不備、情報不足などといった農作物の流通のあり方に求められるのである。――本書より
七三一部隊
七三一部隊
著:常石 敬一
講談社現代新書
日本は大陸で何をしたのか? 軍医中将石井四郎と医学者達が研究の名で行った生体実験と細菌戦の、凄惨で拙劣な実態。残された資料を駆使して迫る、もう1つの戦争犯罪。戦争は終わらない。(講談社現代新書) 日本軍は大陸で細菌を用いて何をしたのか? 陸軍中将石井四郎と彼の率いる関東軍防疫給水本部。研究という名の下に医学者たちが行った人体実験と細菌戦の凄惨で拙劣な実態。もう一つの戦争犯罪を究明する。
電子あり
四字熟語
四字熟語
著:島森 哲男
講談社現代新書
「天心爛漫」な若者が「閉月羞花」の美女に会い、「一日三秋」恋の末、「洞房華燭」の夜を迎え、前途は「鵬程万里」「悠悠自適」……。わずか四語で人を、動かしてきた四字熟語の森を歩き、その深くはるかな知恵を読み味わう。 最高の美女のたとえ「閉月羞花――美しい女の発散する魅力は男を惑わすばかりではない。月も花も鳥も魚も美女の前には動揺する。……美しさをほめるのだから、せいぜいおおげさに、天地にもわたるスケールか欲しいところだが、さすがに昔の人々はよく考える。「閉月羞花」。美しいものの代表としての月や花。その月さえも雲の中に隠れ、花も羞ずかしがってしまう。それほど美しいというのだから、これは最高である。「羞花」は李白が美女・西施を歌った詩の……その美しさ古今随一、ハスの花さえ羞じるほど、にもづく。西施といえば美女の代表。豊満なイメージの楊貴妃とは違って、ほっそりした透き通るような美女である。胸を病んで、苦しげに胸をおさえ眉をしかめた様子が、ぞっとするほど色っぽかったという(「西施捧心」)。隣の女(なぜか東施という名前になっている。かなり美しくなかったらしい)が、あぁ、ああすれば美しく見えるんだわとまねをして、まわりの人間が逃げたという話もある。かわいそうな話だが、おかしい。――本書より
フランス現代哲学の最前線
フランス現代哲学の最前線
著:クリスチャン・デカン,訳:廣瀬 浩司
講談社現代新書
「体系」が放棄され、「普遍的真理」が疑われる今、フランス哲学は複数的な真理の領域の再構築を試みる。人文社会科学・自然科学・芸術の問いかけと結びつく哲学的議論の現状を紹介。 結語──現代の哲学は、特殊で多様だが、批判的であり続けている。だが、この批判は内的なものであり、もはや社会の外部にある理想に支えられてはいない。全体主義、科学という宗教、精神病院の実態などについての批判によって、ある種の真理の効果が生みだされたのだが、それは理想の世界の分析という名の下においてではなく、いまそこにあるものの理解という名の下においてなのだ。本書でみてきたように、技術、監獄、生命倫理、エコロジー、市民権などを検討することによって、まったく外部にあるものや失われた過去へのノスタルジーなしに、存在論の重心を移動させることができるのである。現在の哲学の仕事のただなかにおいてこそ、たえず新たな間道が開通するのだ。そしてこの特異な間道によって、意味の問題が立て直される。──本書より