講談社現代新書作品一覧

「世間」とは何か
「世間」とは何か
著:阿部 謹也
講談社現代新書
日本人の生きてきた枠組「世間」とは何か。古代から現代まで、日本人の生活を支配し、日本の特異性をつくってきた「世間」の本質とは? ヨーロッパの「社会」を追究してきた歴史家の視点で問い直す。(講談社現代新書) 日本人の生きてきた枠組「世間」とは何か。古代から現代まで、日本人の生活を支配し、日本の特異性をつくってきた「世間」の本質とは? ヨ-ロッパの「社会」を追究してきた歴史家の視点で問い直す。
電子あり
身分差別社会の真実
身分差別社会の真実
著:斎藤 洋一,著:大石 慎三郎
講談社現代新書
身分とは何か? 誰が差別されたのか? 被差別民の起源は? 身分制社会の矛盾を追究し、江戸の社会構造を捉え直す。 二つの視点から――江戸時代の身分制度について第二にいなわければならないことは、そうした諸身分が存在するながで、「えた」「ひにん」などと呼ばれた人々が、公家や武士はもちろん、百姓や町人からも一線を画されていたことである。彼らは「人外」、すなわち同じ人間ではないかのようにみられ、人間づきあいから「排除」されていた。…… 私は、江戸時代の身分制度を、二つの視点からみる必要があるだろうと考えている。一つは、将軍を頂点とする武士および天皇・公家を支配身分ととらえ、その他の人々を被支配身分ととらえる視点である。この視点では、「えた」「ひにん」などの被差別民も、百姓や町人と同じ被支配身分にくくられる。…… もう一つは、右にみたように、公家・武士・百姓・町人などの身分(この点では、百姓・町人は公家・武士と同質社会を形成しているとみられていた)と、それとは明らかに別な存在とされた「えた」「ひにん」などの被差別身分とに分けてとらえる視点である。――本書より
将軍と側用人の政治
将軍と側用人の政治
著:大石 慎三郎
講談社現代新書
社会の経済化が進んだ江戸中期の100年間。激動の時代の舵取りをした柳沢吉保、間部詮房、田沼意次からの軌跡を追い、これまで不当に貶められてきた「側用人の時代」に光を当てる。 側用人の時代――これまで「側用人」というと、必ずしもいい意味では語られてこなかった。むしろ「君側の奸」といった悪いイメージがつきまといがちだったのではないだろうか。しかし、私は、この「側用人政治」こそが、270年近くにわたる徳川体制の維持を可能にし、さらに日本の「近代」を用意したものではなかったかと考えている。…… 江戸時代を通じて、この制度が悪用されることはなかったし、無能な側用人がいたずらに政治を混乱させるということもなかった。――本書より
文明の交差路で考える
文明の交差路で考える
著:服部 英二
講談社現代新書
人とモノが行き交い、異文化間の交流と対話を生みだした歴史と文明の交差路。グローバルな視点と斬新な発想で地球を旅するとき、これまでとは違った世界像が浮かびあがる。 歴史観の歪み――地球を歩き、空と海から見、プロジェクト遂行のために多くの人々と交わり、幾多の出会いを体験していくうちに、私が痛感したのは、今までの教育では「和がいびつ」であった、ということです。文化価値が非常に歪んだ形で伝えられています。世界史では地球上の多くの部分が、それも重要な部分が欠落しています。なぜこのようなことが起こり、しかも深い反省もなく今まで継承されてきたのか?それを考えていくうちに私は1つのことに気が付きました。それは歴史の最初の教科書が、19世紀という「科学主義」と「植民地主義」に律せられた時代に書かれ、時代が変わった今もそこに生まれた傾向が踏襲されている、ということです。――本書より
ロシアを読み解く
ロシアを読み解く
著:廣岡 正久
講談社現代新書
“巨大帝国”ソ連邦が崩壊し、ロシアは漂流を続け、ロシア人は、自らのアイデンティティ喪失の危機におののいている。“断絶”に苦吟する超大国の真実の姿を歴史的・文化的に跡づけ、「ロシア人とは一体何者なのか」を根底から解読する。 大きな喪失感――帝国が崩壊してしまった今日、……エストニア人やリトアニア人などバルト諸国の諸民族、そしてタタール人たちが自らの主権をかち取り、自らの国家を樹立し、あるいは樹立しようとしているのに対して、ロシア人は固有の国家と領土を失ったと感じている。彼らの意識を満たしているのは……“喪失感”にほかならない。巨大なソヴィエト帝国が誇示した“地政学”上の地位の喪失におののき、傷つけられた民族的矜持に悲鳴をあげているというのが、現在のロシア人が陥っている心理状態なのである。――本書より
日本仏教の思想
日本仏教の思想
著:立川 武蔵
講談社現代新書
この世界は「空」か、「真実の姿」か? 日本仏教は何を求め、伝来(インド・中国)仏教の何を捨てたか? 最澄、空海、法然、道元、日蓮ら知のスーパースターたちの思索を辿り、日本仏教の核心に迫る。 日本仏教は何を問題にしたか――日本仏教の主眼は、世界観の構築にらなかったのである。日本仏教が問題としたのは、感官の対象としての色蘊つまり物質世界が、人間の心的世界にとってどのような価値をもつかということであった。インドの仏教徒にとっては、色蘊は人間の感官の対象にすぎないのであり色蘊にどのような意味が付せられるかはあまり問題とはならなかった。重要なのは、あくまで感受し、意欲を持ち、認識する主体であったからだ。一方、日本仏教にあっては、認識主体の重要性もさることなから、眼前に見ることのできる月や花や雲というすがたの色蘊が、われわれにどのような意味、価値、力を投げかけてくるかということが重要であった。われわれ日本人は、道端に咲く一輪のタンポポを見るとき、その一つの花に宇宙を見てしまう。「その花が、世界の構造の中でどこに位置するのか」などとは問わないのである。――本書より
アメリカ南部
アメリカ南部
著:ジェ-ムス.M・バ-ダマン,訳:森本 豊富
講談社現代新書
「古き良き」大農園文化(プランテーション)。一方に、過酷な生活から花開いた黒人文学や音楽。合衆国史を重層的に彩り、今なおアメリカの深奥に生きる「南部(ディクシー)」世界。 メンフィスの夜――4月3日の夜、キング牧師は講演の中で、「私はもう山頂に到達したが、モーセのように「皆と一緒に約束の地に行くことはできないかもしれない」と暗示的なことを述べた。その講演は、皮肉にも翌日に起こった彼の運命を言い当てていた。ロレイン・モーテルの2階のバルコニーで、キング牧師はジェイムズ・アール・レイの凶弾に倒れた。全米はおろか、全世界で名の知れ渡っていた公民権運動家の暗殺の知らせは、全米を駈けめぐった。公民権運動の偉大な指導者が凶弾に倒れたという悲報を受けて、全米各地で暴動が発生した。私のいたローズ大学(Rhodes College)では、学生はダウンタウンに出かけないように申し渡された。そして、メンフィス市全域に夜間外出禁止令が出された。大学寮の窓の外を、武装した兵を乗せた軍の搬送車が通り過ぎで行ったときのことが、今でも鮮明な記憶として甦ってくる。幸いにメンフィスでは、大きな騒動は起こらなかった。しかし、公民権運動を推し進めていた人々の表情は、明らかに深い落胆のそれであった。――本書より
ロスチャイルド家
ロスチャイルド家
著:横山 三四郎
講談社現代新書
世界の金融と産業を牛耳るユダヤ財閥の秘密。初代マイヤーが五人の息子を主要都市に配したとき、戦いは始まった。ナポレオンから二つの大戦まで、鉄道からダイヤモンドまで、歴史を裏で動かした一族の物語。(講談社現代新書) 世界の金融と産業を牛耳るユダヤ財閥の秘密。初代マイヤーが五人の息子を主要都市に配したとき、戦いは始まった。ナポレオンから二つの大戦まで、鉄道からダイヤモンドまで、歴史を裏で動かした一族の物語。
電子あり
修道院
修道院
著:朝倉 文市
講談社現代新書
神を想い、清貧に徹し、労働を重んじる――中世社会に影響を与えた修道院の活動の理念を軸に、その起源と展開を辿る。 回廊にて――回廊こそは、修道士たちの日常生活の場であり、家にたとえていえば、さしずめ居間というべきであろうか。中庭には、決まって泉水があり、修道士たちは、手を洗い、顔を洗い、口を漱ぎ、足まで洗ったであろう。回廊はまた、いろいろの機能を持つ。まずは、歩きながら聖書を読む。つまり、歩道であると同時に、読書の場でもある。そして、黙想や瞑想の場でもあった。また写本をする写字生の仕事場でもある。また、時と場合によっては、談話室に早がわりすることもある。あるいは、聖歌の練習の場にもなる。(略)回廊は、その四辺から楽園の四つの川(ピション・ギホン・チグリス・ユーフラテス)、四人の福音史家(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)、四つの枢要徳(賢明・正義・剛毅・節制)を思い起こさせ、神の国はこんな場所ではないかと想像されていたらしい。――本書より
日本語誤用・慣用小辞典<続>
日本語誤用・慣用小辞典<続>
著:国広 哲弥
講談社現代新書
一瞬先は闇? 怒り心頭に達する? いやが応にも? 世にはびこる誤用・慣用を「根掘り葉を折り」探し出し「根ただしにする」大好評シリーズ第2弾。 二度繰り返す――ある読者から手紙が来て、「二度繰り返す」という言い方は、おかしいというのである。「繰り返す」という動詞は〈同じことを二度する〉という意味であるから、単に「同じ誤りが繰り返されている」と言えばよいので、「二度」を入れるべきではないというのがその理由であった。「二度」を入れれば同じことを四度行う計算になるというのである。…… しかし、結論を先に言うと、これは誤用ではない。この「二度」は表面的に見ると、「繰り返す」動作そのものを指していると取ることができ、右の読者もそのように取っていて、それ以外の解釈はあり得ないと信じ込んでいるわけであるけれども、実は「二度」にはもうひとつの用法があり、〈同一の動作が結果として二度行われる〉という意味が出て来る。――本書より
ヒトラーとユダヤ人
ヒトラーとユダヤ人
著:大澤 武男
講談社現代新書
追放、大量虐殺、絶滅……ヒトラーの異常な反ユダヤ主義はいかに生まれ、実行されたのか。ウィーン、ミュンヘンでの青春期に芽ばえ、世界大戦への過程で極限に行きついた狂気の原因、推移を検証する。 《ユダヤ人絶滅》の予告へ――「水晶の夜」事件から絶滅の予告をするまでの3ヶ月間弱の間に、ヒトラーはその前触れとなるようないくつかの発言をしている。「もしドイツ帝国がいつか予期せぬ時に、外交上の紛争に直面するなら、われらもドイツにおいて、まず第1にユダヤ人に対し大がかりな責任追及をし、その精算をしなければならないことは当然である」「ユダヤ人問題は近いうちに解決するであろう」「私はユダヤ人をあるどこかの遠く離れた地に居住させることに賛成である」「われわれのところのユダヤ人は絶滅させられる」――本書より
20世紀言語学入門
20世紀言語学入門
著:加賀野井 秀一
講談社現代新書
言語の「構造」の発見が20世紀の知を変えた。言語学革命の核心と巨大な影響に迫る。 「言語(ラング)」にしたがってわれ思う――構造言語学的な概念の拡大適用によって、婚姻規則や神話の構造を次々とあばき出してきたレヴィ=ストロースは、1962年の「野生の思考(=三色スミレ)」の最終章で、当時全盛をほこっていた実存主義の領袖ジャン=ポール・サルトルを攻撃し、構造主義ブームの火つけ役となる。彼の活動によって浮き彫りになってきたのは、当該社会の個々の構成員には感知されぬままになっている「文化の無意識的なシステム」であったわけだが、そこにおいて「われ思う」は、「ランクにしたがって、(われ)思う」となり、「無意識的なシステムにしたがって、(われ)思う」ということになる。当然ながら、主体の実践に重きをおく実存主義やマルクス主義の陣営からの反発が生じることは、火を見るよりも明らかだった。――本書より
メタファ-思考
メタファ-思考
著:瀬戸 賢一
講談社現代新書
目玉焼き・メロンパン・希望の光・人生の黄昏――日常言語に含まれる思考手段としてのメタファーをとりあげ、人間的意味の形成のしくみを明かす。 メタファー早分かり――「月見うどん」はメタファー、「きつねうどん」はメトニミー、「親子丼」はシネクドキ。また、「白雪姫」はメタファー、「赤ずきん」はメトニミー、「人魚姫」はシネクドキ。さらに、「たい焼」はメタファー、「たこ焼」はメトニミー、「焼き鳥」はシネクドキ。 メタファーは、類似性に基づく。より抽象的で分かりにくい対象を、より具体的で分かりやすい対象に《見立て》ること。(略) メトニミーは、現実世界(民話のような想像世界も含める)のなかでの隣接関係に基づく意味変化である。「赤ずきん」は「赤ずきん」そのものを指すのではなく、赤ずきんをかぶった女の子(赤ずきんちゃん)を指す。(略) シネクドキは、意味世界(私たちの頭のなかにある)における包含関係に基づく意味変化である。(略)「親子」という類で特定の種「鶏とその卵」を表し、「人魚」という類であの海に身を投げて泡と消えた「人魚姫」を表している。――本書より
オペラ歳時記
オペラ歳時記
著:堀内 修
講談社現代新書
春の誘惑、真夏の夜の惨劇、秋の美少女、クリスマスの悲恋。季節は恋の媚薬、そして恋はオペラの命。〈ワルキューレ〉から〈ボエーム〉まで、めぐりゆく12カ月を軽妙なエッセイで綴る、悦楽のオペラ・カレンダー。 オペラと季節の結び目――塔から垂らされたメリサンドの髪にペレアスが指をからませていたのが見つかってしまったのは、まちがいなく夏だった。ではドン・ジョヴァンニがセビリヤの郊外で村娘ツェルリーナを誘惑しようとしたのは、一体春なのか秋なのか?6月なのだろうか9月なのだろうか?これから並べるのは、オペラと季節とを結ぶ、結び目のいろいろだ。1月に5つ、2月に5つと、12月まで続いて、数は60ある。うまく結べてリボンがなんとか蝶のかたちになっているんじゃないかと自負しているのもあるけど、中にはほどけかけているようなものもある。うまくいったらおなぐさみ!――本書より
プラス暗示の心理学
プラス暗示の心理学
著:生月 誠
講談社現代新書
プラスの予想と楽観的判断の適度な組み合わせが、行動をより良い方向へと変えていく。暗示を受け入れやすい態勢を整え、内なる言葉の力を活用する方法を説く。リラックスから能力開発まで役立つ1冊。 まずリラックス――何かに悩んだりこだわったりしていると、そのことに意識を向けるだけで、不愉快になったり、不安になったり、憂鬱になったりすることが少なくない。こんな時には、悩みに意識を向ける前に、まず気持ちをリラックスさせ、安定させる必要がある。つまり、心身をリラックスさせる練習から始めるのが、もっとも確実で効率の良い方法である。心の悩みが大きいと、身体は過緊張に、情緒は不安定な状態になる。また、慢性的な緊張や不安があると、心の悩みを引き起こしやすく、それをこじらせるようになる。逆に、リラックスしてのびのびしていると、悩みの克服はそれだけ容易になり、能力の開発に大変有利な状況になる。――本書より
「気」で読む中国思想
「気」で読む中国思想
著:池上 正治
講談社現代新書
神話の時代から20世紀末の現代に至るまで、中国思想史の流れのなかで「気」はいかに捉えられてきたか。「気」の概念の誕生から、その深化と多彩な展開のプロセスを跡づける。 「気」の今日的意義――その一は、全体性である。20世紀の人類は空前の知識と高度な技術の体系を自分のものとしたが、そこには個別深化という特徴がある。最先端といわれる分野ほどそうである。だが、それは同時に「木をみて森をみず」という欠陥をもつという指摘がある。グローバルな視点が求められている昨今、「気」の概念がもつ全体性、包括性、柔軟性といった特徴は、大きく評価されることになるだろう。 その二は、自然回帰である。人類はすこし工業化を急ぎすぎているようだ。「発展途上国」は「先進工業国」に追いつこうとして懸命である。公害の防止がすでに一種の産業技術となった現在、もっとも公害に悩まされているのは逆説のようだが、発展途上国である。ところが大自然のなかに回帰すると、人々は心からの安らぎをおぼえるのである。それはやはり自然の「気」につつまれるからであろう。――本書より
神風と悪党の世紀
神風と悪党の世紀
著:海津 一朗
講談社現代新書
蒙古襲来を機に高揚する、神国思想。各地で進む、寺社・荘園の再建(リストラ)、聖地回復の民衆運動と排除された者たち。時代の変革願望がもたらした、後醍醐天皇の「新儀」とは。鎌倉末から南北朝へと続く、動乱の世紀を活写する。 伊勢神道の成立――始祖法然・親鸞をはじめ、専修念仏を主張して神祇不拝の原則を堅持し、危険思想として弾圧され続けてきた念仏教団――その一派である時宗は、いち早く、この反体制の立場を放棄し、体制肯定・現世利益の神仏習合に進んだ。そして、蒙古襲来により神国観念の高揚する中、ついに他阿真教(のち時宗の主流)に至って、神本仏迹の神国思想に追随するまでになった。皮肉なことであるが、念仏の教えは、この時はじめて遊行の大衆運動として高揚し、民衆世界に広く浸透したのであった。しかし、その教えは、始祖の時代の真の変革思想とはほど遠く、体制仏教をさらに強化・拡大するための革新に変貌していたといわなければならないだろう。……このように神と仏が結合の度を強める中で、ついに神祇の存在を否定する真の反体制宗教が姿を消してまったこと――これこそが、中世神国思想の成立の意義といえよう。しかも「諸宗がこぞって変革をうたい、真の変革思想がこの世から消える」という事態は、宗教の世界に留まらなかった。――本書より
現代ドイツ史入門
現代ドイツ史入門
著:ヴェルナ-・マ-ザ-,訳:小林 正文
講談社現代新書
何がドイツを引き裂き、劇的に統合させたのか?米ソ英仏の反目と敵意の谷間で翻弄され続けた傷ついた大国ドイツ。日本未公開資料を駆使して描く激動の半世紀。 1990年10月3日、ドイツ統一──東ドイツの人民議会は1990年3月18日の初めての自由な選挙の結果、キリスト教民主同盟を中心とした保守連合「ドイツ連合」が得票率で48.15%、議席で193という大勝を博した。……予想を上回るキリスト教民主同盟の好成績は、豊かな西ドイツ経済に1日もはやく参加したいという東ドイツ市民の願望の表れだった。……1990年10月3日、ドイツ統一の日である。午前零時、ベルリンの国会議事堂まえは、この日を祝うために集まってきた人たちでごった返していた。分裂国家が生まれてから41年、統一がこのような形で実現しようとはだれが想像できただろうか。議事堂に集まった政治家も、前の広場で花火を打ち上げ、シャンパンのグラスをあげる市民も、多くの人々が涙をうかべていた。──本書より
心のメッセ-ジを聴く
心のメッセ-ジを聴く
著:池見 陽
講談社現代新書
自己の解放は内なる「実感」を感じとることから始まる。重く停滞した心を開くフォーカシングの技法を、心理臨床の現場から解説。 カウンセリングと実感――「気持ち」という場合、悲しい、寂しい、嬉しい、など特定の内容をもった感情を指すが、「実感」はそれらよりも複雑で漠然とした、実際に感じられる体験という意味で用いる。たとえば、悲しい「気持ち」といっても、実際に「実感」してみると、そこには悲しきの「質」とか「色」のように、状況によって微妙にことなるトーンがあることがわかるだろう。それを表現してみるとすると、それはおそらく「悲しいような、暗い、重たい……何とも表現しにくい雨音が胸に染み込むようなじーんとした感じ」という具合に複雑で、簡単に「悲しみ」という一言では表現しにくい性質であることがわかるだろう。このような体験をここでは「実感」と表現しておく。――本書より
修羅を生きる
修羅を生きる
著:梁 石日
講談社現代新書
話題を呼んだ映画「月はどっちに出ている」の原作者が赤裸々に綴る破天荒の青春譚。骨肉の葛藤、詩への耽溺、無頼と放蕩……鮮烈に生きぬいた在日朝鮮人青年の軌跡。 なぜ、私は書くのか――私は作家にならず生涯をタクシー運転手で過ごしてもよかったのである。実際、私の生き方はそういう生き方だった。私は自分の家族に多くの犠牲を強いてきたが、それは作家になろうとして家族に犠牲を強いてきたのではない。もっとはっきり言えば、私はきわめていい加減な人間だった。私は母に溺愛されたが、家族愛というものを知らなかった。しかも父を反面教師としながら、別な意味で、つまりエゴイストという点で、私は父にそっくりだった。私は自分のことしか考えない人間だったのである。そしてなぜ作家になったのかと言えば、私はついに断念の思いを悟れなかったからだというほかはない。――本書より