講談社+α新書作品一覧

介護保険 不幸のカラクリ
講談社+α新書
体験してわかった!!あきれた矛盾とデタラメ
スタートして1年、みんなが幸せになれるはずなのに、逆に不幸にしてしまった介護保険。お役人が作ったこの血の通わない制度の問題点をユーモラスに解き明かす!!
実母が寝たきりになって拙宅にきてから10年目になる。母は89歳、私は64歳になろうとする立派な老老介護家庭である。いたれりつくせりの親孝行介護とはほど遠い一方、人として恥ずかしい扱いはしてないという、まあどこにでもある庶民の老親のいる光景だろうと思う。そこへ、ひとすじの光明が射したような介護保険のファンファーレが鳴り響いた。私の期待は大きくふくらむばかりだった。ああ、やっと、私は強制された苦役から解放されるのだ、と心はずむ。腰痛をこらえながら母を抱き動かししなくてよくなれば、もっとやさしくゆとりをもって接することができるようになるだろう。……ところが、実際に始まってみると、みんなを不幸にするとんでもない制度の矛盾が次から次へ噴出してきた。

人生の無常を楽しむ術―40歳からの漢詩
講談社+α新書
熟成された孤独感こそが人間的魅力を醸成する!!
いくつになってもへこまず、自分第一に生きたいもの。本書にあるマンガ漢詩では、李白や杜甫の世界に出会えば、この先を生きる心の準備は万全。人生後半の生き方読本!!
人生は誤算だらけだ。結局は何ひとつ思うようにならん。昔の人は諸行無常といっていたが、この世のことはマジメに考えたってどうにもならない。なるようになるだけだ……こういうとき先人たちは、何を考え、何をして生きていたのでしょうか。人生後半の生き方のヒントを求めて、長年親しんできた漢詩を折にふれ拾い読みしたところ、思わぬ発見をしました。「中国の詩人たちは、人生の無常を楽しんでいたのでは!?」日本人は無常の思いで悲嘆にくれますが、中国の詩人たちは無常と遊び戯れているように思えます。

ワーズワス 田園への招待
講談社+α新書
自然の美しさの愛し方、語らい方が深まる1冊
イギリスで最も美しいといわれる湖水地方を愛し続けた桂冠詩人の観照と思索の軌跡。現代人がいつの間にか失ったゆったりした時間と自然の語らいが取り戻せる本
ワーズワスはイギリスのみならず、西洋の精神史の中で、自然との対話にめざめた最初の詩人として位置づけてよいのだが、彼の詩想はまた、2つの世紀の転換期を生きるわれわれ日本人にも、多くの示唆をあたえているように思える。ワーズワスという詩人は、たしかにイギリスの美しい湖水地方で生を享け青春の放浪の旅を経て、ふたたび故郷に帰って「定住者」となったが、決してすんなりとそこの自然を受け容れたのではなかった。ワーズワスの自然との対話が、彼の悲劇的な喪失と地獄の体験のあとに可能となった事実を、われわれはとくに心をとめておくべきだろう。自我の欲望をかぎりなく抑えることによって可能となる自然との共生、そのうえに高い精神性をもって築かれるワーズワス的「シンプル・ライフ」は決して過去のものではない

温泉で、なぜ人は気持ちよくなるのか―名湯の条件
講談社+α新書
誰も知らなかった本物の温泉の本当の実力!!
人の心を癒す〈名湯の3条件〉に適う温泉はどこか。温泉と温泉地の癒し効果を、歴史と科学の目から検証する。なぜ、日本人は温泉に魅了されるのかがわかる本!!
あらためて温泉のことをよく知っていただいて、温泉をもっと楽しみ、もっと温泉が好きになってもらう。これが本書の第1の目的、願いである。第2に、温泉の楽しみには、開放的にハダカになって湯に浸かることがまず思い浮かぶように、温泉と肌のふれ合いが悦楽の原点ともいえる。第3に、私たちに深いやすらぎを与え、体調を整え、癒してくれるという大切な要素が、温泉の悦楽には含まれている。温泉が人を癒すのは、さまざまな個性を持つ新鮮な源泉の効用をふまえつつも、温泉を育んできた自然と土地と共同体の人々が織りなす温泉地の総体が、やさしく人を包み込んでくれるからであろう。温泉のもたらす愉悦の核心は、そこにあるのではないかと思う。

治療は大成功、でも患者さんは早死にした―長生きするための医学とは
講談社+α新書
健康診断や効果ありとされてきた治療が死を早めている!!
ガンは早期発見しても長生きできない、高血圧のクスリで寿命は延びない等、最新医療の調査データから衝撃の事実が。予防・長寿医学の専門医が健康で長生きできる知恵を説く!
「長生きしたいですか?」。こんな質問をすると、たいていの人は「年を取る前にポックリあの世にいきたいワ」とか「長生きばかりが人生じゃないサ」などと、決まって答えます。それなら、どうして健康診断を一生懸命受けているのですか。どうして具合も悪くないのに、医師にいわれるがままにクスリを飲み続けているのですか。長生きなんかしなくてもいいと息巻いている人に限って、病気になると大騒ぎするものです。死にたくないと騒ぎ立て、周りに迷惑をかけている人がたくさんいます。
本書は、健康で長生きをしたいと思う人が、してはいけないこと、しなければならないことをまとめたもので、今までの医学の常識からすれば、かなりショッキングな内容です。科学者のいうことも、時には間違っています。

被告人は警察―警察官職権濫用事件
講談社+α新書
許しがたい警察暴力との法廷闘争、実録!!
パトカーにクレームをつけたら腹を蹴られ殺された。スケッチに出かけたら不審者と思われ射殺された。自ら職権濫用の警察官を有罪にした弁護士が、警察犯罪を暴く!!

おしゃべり文化―会う人はみんな僕の薬
講談社+α新書
その言葉で励まされ、その言葉と生きてきた。――五木寛之さん、黒柳徹子さんから近所の大工さんまで。日本全国、有名無名、いろんな人と会って語って、知恵をもらった。50年の仕事で心に残った、優しく厳しい言葉の文化!
初めに言葉ありき――
その言葉にめぐりあい
その言葉を友とし
その言葉で励まされ
その言葉のままに
その言葉と生きてきた
その言葉は……。
誰にもあるそんな言葉を思い起こして1冊にまとめてみた。通りすがりに聞こえた言葉。インタビューで答えた言葉。対談で忘れられない言葉。人に逢い、人と語り、マスメディアの中で、教えられ、育てられた数々の言葉。そうしたおしゃべりも活字文化や映像文化と同じ文化として考え直すべきだ。だから名づけて「おしゃべり文化」。
●「出家」とその妻
●坊主の息子vs.牧師の息子
●集団離婚宣言
●男も化粧を
●戒名のいる人、いらない人
●「老いて美しく」の勘違い
●待ち合わせは本屋で
●「ひとりではできません」
●恥をかくのがいい気持ち
●「心の主治医」に聞く

日本航空事故処理担当
講談社+α新書
無責任と安全軽視。事故は結局、人がつくりだす!!
国と企業に蔓延する安全管理意識のあまりの貧困。その底に流れるヒューマン・ファクターの軽視を、日航機の事故処理25件の実務家が体験に基づいて指弾!
あの御巣鷹山事故の大惨事から15年も経ち、ニューデリー事故やモスクワ事故からは30年近くも経っている。その間に会社の経営者は何代も替わり、職制や一般社員にも世代交代があって、過去の事故は、その一覧表によってのみ知られる事実となっている。これらの事故で亡くなられたり、負傷されたりした人々が残した安全運航の確保のための教訓は、風前の灯(ともしび)の状態にある。
私は、過去の事故の教訓を生かし、再発防止に向けて監視の目を怠らないようにしなければ、また次の航空事故を引き起こすことにもなりかねないとの危機感を抱いた。そのためには、実際に事故処理を担当してきた自分がその内容を公表し、航空事故について正しく理解してもらうことが必要ではないかとの使命感のようなものも感じた。

「引きこもり」から、どうぬけだすか
講談社+α新書
声なき声をどう聞くか再出発へのきっかけは
20年間、2000家族に寄りそい、いち早く「引きこもり」に取り組んできたカウンセラーだから言える、現状を打ち破り、長期化させないための具体的な方法のかずかず!
「引きこもり」とは心が引きこもることで、誰もがもっている基本的な心理だと私は思っている。問題はその後、孤独感を深める中でどうやってふたたび人とつながって人の輪の中に還っていくかである。だから引きこもりにとって自立とは働くとか学校に行くとかいうことよりも、第三者とコミュニケーションがとれるようになったかどうかのほうが重要である。人間関係の中で人と「せめぎあって、折りあって、お互いさま」の循環的コミュニケーションがなんとかやりとりできれば、後は本人の生き方の問題である。
本書では、多くの親と子が引きこもったことを肯定的にとらえてぬけだしていった姿を紹介したい。

捨てない! シンプル整理術
講談社+α新書
いらないものはいらない!しなくてすむことはしない!!
シンプル整理の第一歩は頭の整理。捨てなくても、すっきり暮らす中山流整理術を実践すれば、楽しく、無理なく、無駄なく動いて、きれいに片付く!
「いらないものは、いらない」「しなくてすむことは、しない」、この2つを前提に、家の中のものをうまくさばき、整理する方法を考えることで、生活がよりシンプルに心地よくなるなら、やってみる価値はありそうです。楽しく、無理なく、無駄なく動いてきれいに片付き、気分が晴れて他の仕事もはかどる。まあ、すべてそこまでうまくいかないとしても、私のように自宅で仕事をしていてちょくちょく「探し物」をするはめになる人も、会社や学校でその日必要なものをつい家に置き忘れがちな人も、趣味や活動をするために、家事の手間をできるだけ省きたい人も、主婦と呼ばれる立場の人に限らず、「家で過ごす」すべての人が、自分なりに実践できるシンプル整理術をマスターすることは、とても意味があるのではないでしょうか。

体調予報―天気予報でわかる翌日のからだ
講談社+α新書
「眼からウロコが落ちるとよく言いますが5枚ほどおちました」──久米宏氏、推薦! インフルエンザ、喘息、アレルギー、頭痛、冷え、鬱……さまざまな原因不明の体調不良・変動は「天気」を見ればすべて理由がわかる! 予測できる! 画期的方法とノウハウを、このジャンルにおける日本の第一人者が懇切丁寧に教示。今日から天気予報を見るだけで準備と備えができるようになる、「悩める症状」を持つすべての人を救う1冊。
「眼からウロコが落ちるとよく言いますが5枚ほど落ちました」――久米宏
テレビの番組で「インフルエンザ予報」をしたことがあります。寒い冬の季節になぜ風邪が流行るのか調べてみると、意外に答えは単純で、「寒くて空気が乾燥しているから」でした。気温が低く、空気が乾燥した状態で、人の体力は低下し抵抗力が弱まる一方、インフルエンザウイルスは元気になります。健康管理の1つとして、低温低湿度の気象条件に対する注意は必要なのです。「インフルエンザ予報」はかなり好評でした。晴れるのか雨なのか、寒いか暖かいかではなく、風邪にかかりやすい日かそうではないのかといいかえたことで、見ている人の印象に残ったようです。天気予報を「体調予報」にかえたら、使える天気予報となりました。

ストーカーの心理
講談社+α新書
ストーカー自身が告白した赤裸々な深層心理!!
男性ストーカー2人、女性ストーカー2人がつぶさに明かした“心の闇”。彼らはなぜストーキングに走るのか?彼らとのカウンセリングを通して、初めて見えた実像!!
ストーカーとはどんな人たちだと思いますか。異常で、執念深くて、独りよがりで、残忍で、卑劣で……と、いろいろなことが言えると思います。でも私は「ストーカーとは何よりも悲しい人たちだ」と思います。この悲劇的な人たち(ストーカー)から直接話を聞き、彼らの滑稽で、残忍で、幼稚で寂しい心の中には一体何があるのか。それを探るのが本書のテーマです。思えば、今から6年前の1995年には、ストーカーという言葉はマスコミの間でも知らない人が大部分でしたが、今ではこの無気味な言葉を知らない人はいないでしょう。6年前には目立たない小さな点でしかなかったストーカーという言葉が風になり、嵐になり、台風になり、国中に広がる渦となって、2000年にはついに国会をも動かすことになったのです。

IT革命 根拠なき熱狂
講談社+α新書
この無惨な現実を見よ!!IT革命はマボロシだ
不況日本の救世主と騒がれ、バラ色の未来を約束するかのようなIT革命だが、現実を詳細に調べると、哀れな「豊かな社会」が浮かんでくる。あえて言う。ITは危険だ!!
「IT革命」という言葉が爆発的に広がった。国策にもなった。ITは、経済や産業・企業の構造のみでなく政治や文化や生活のあり方まで、すべてを世界的規模で変革し、より豊かな社会をもたらすものといわれている。しかし、それは本当なのだろうか。IT革命というイメージの中で語られているコンピュータやインターネットなどは、その効果や価値や影響が過大評価され過ぎていて、むしろ危険な様相さえ呈しているように思える。本書では、さまざまなIT革命論がどれも現実的な議論ではないことや、ITによって、インフレや景気変動がなくなり、持続的高度成長が実現するというニュー・エコノミー論が非常に怪しげな主張であることを証明し、IT革命などは起きていないし、これからも起きないことを示そうと思う。

庭師の知恵袋 花も実も楽しむ庭づくり
講談社+α新書
花も実も緑も……庭を生かす実生(みしょう)の木の効用!
1本の木で生活に潤いを与える名人職人の庭づくりのワザ。庭植えはもちろん、ベランダ園芸や鉢植えでもできる果樹の植えつけ方、仕立て方など、図版付きで解説!

建築Gメンの住居学―家族の安心と安全な家のために
講談社+α新書
正義の味方の登場で、住まいの革命が始まる!!
“こんなはずじゃなかった!”ではすまされない。大切なマイホームが危ない!知ってて知らぬふりをする専門家と、法律までもが業者優先だ。今こそ建築Gメンが我々を救う。
この50年を振り返ると、欠陥住宅はなくなるどころか、手を替え品を替えて、相変わらず住まい造りの不正が横行してきた。法律までもが業界優先で、住民の利益はないがしろにされてきたといえる。建築基準法・建築士法・建設業法に違反した人の氏名を、行政側は公表しない建前なので、住民はその「悪貨を駆逐」できないばかりか、不正や瑕疵(かし)(手落ち)を指摘した住民を「奇人変人」扱いして孤立化させて、押しつぶす圧力が業界側から攻撃として仕掛けられてきた。「建築Gメンの会」は、これから良質な住まい造りに、さまざまな形でかわっていくことになる。欠陥住宅ができないように、じかに工事の監理もするが、契約に先立つ相談にも応じていく。最重要課題として、勇気ある有能な「建築Gメン」の育成をかかげている。

ひきこもりの家族関係
講談社+α新書
「ひきこもる」ことは、そんなに悪いことなのか!?
ひきこもりの子どもたちは自分が人とうまく関われないことに苦しみもがいている。人生を賭けて訴える心の叫びに、親はどう応え、何をすればいいのだろうか!!
「子どもたちの心に何が起こっているのか」。私は現代の「ひきこもり」という現象を、人間存在の原点に関わる深刻な問題であり、現代の家族関係のコミュニケーションのズレを象徴、として捉えるようになっています。関係性の再生……そのための問題提起……そう考えるようになった私の思考の流れを描きだそうとした、その悪戦苦闘が本書です。どれくらいのひきこもりの時間がその個人にとって必要か、ということは一概にはいえません。極論すれば必要な10年間、という場合だってあるだろうと私は思っています。私は人がひきこもるということ、それ自体を悪いことである、とは捉えておらず、意味ある行為と考えているからです。しかし、そのためにはひきこもっている間を「意味ある時間」にする必要があります。

子どもの凶悪さのこころ分析 17歳にみる「退化のきざし」
講談社+α新書
「もしや我が子が!?」犯罪報道に親は揺れる!!
17歳の凶悪犯罪は氷山の一角に過ぎない!!子どもの心におきている急激な変化は、人類が退化の方向へ進んでいる大いなる証といえる。名医の逆説的「悪い子の育て方」の提案!!
このところ17歳の凶悪少年犯罪がつづく。偶然なのか、意味あることなのか。あるいはマスコミが、意識しすぎて17歳の犯行をことさらに大きく取り上げるのであろうか。神戸の少年A(当時14歳)以下、相次ぐ殺人事件をおこした少年たちも今、ちょうど17歳なのである。単なる偶然といえそうもない気がする。本書の脈絡からいえば、17歳とは1983年生まれである。バブル経済の絶頂期に生まれているのである。まさにバブル(泡)の子である。後世、きっとその時代的意味づけが明らかになるだろうと思う。新聞に躍る「17歳の心の闇」という活字は同じ17歳の子を持つ親を不安に落とし込んだ。母親たちは我が子にも“その匂い”を本能的に感じていたのである。

40歳をすぎても記憶力は伸ばせる
講談社+α新書
「“人の名前”がすぐ出ない!」に確実に効く本!!
「エーと、あの人、顔は分かるんだけど名前が……」などということが多くなった人へ記憶力を確実に伸ばす脳の鍛錬法!脳細胞は、大人になっても増やすことができる!!
最近、脳の訓練はたんにシナプスを増したり、突起を伸ばしたり、血液の流れをよくするだけでなく、脳細胞そのものを増やすことが発見されたのです。ラットを広い場所に移して、そこに回転車やトンネルなどラットが興味をもちそうな遊び道具を並べておきます。動物は新しいものがあると好奇心からその穴に入ったり、回るものを動かしたりします。別のラットに普通の狭い飼育箱で生活させるのです。そしてこれらのラットに、細胞が分裂した場合のみ細胞のなかに取り込まれるBRdU(臭化デオキシウリジン)という物質を投与し、脳を調べます。すると楽しい環境に置かれたラットの海馬の細胞は普通の環境に置かれたラットの海馬の細胞より多くなっていることが分かりました。

「タイム」を読んで英語名人
講談社+α新書
英語落ちこぼれが英語名人になった!!
一念発起した著者が、難解といわれる「タイム」に挑戦。独特の工夫と努力でついに英語名人になるまでの秘話とそこで得た“極意”を惜しみなく伝授する!!
日本には、公認された英語の資格検定試験は山ほどある。しかし、いくらスコア・アップしてもタイムが読めない人が多い。それでは何か後ろめたいものがある。日本人のすべてが英語をやる必要はない。しかし、いやしくも何らかの形で国際的にかかわっている人は、すべて斬れる英語を武器として身につけておく必要がある。その点、英語と情報において世界的に通じるタイム英語をモノにすることは、自信の糧になるに違いない。タイムがスラスラ読める「英語の達人」。その域に達する道は険しい。何回も本書を読み返さなければならないことだろう。しかし、critical pathを踏み外さなければ、誰でもきっと到達できるはずだ。

納得の間取り 日本人の知恵袋-日本人らしい生活空間とは
講談社+α新書
日本の家が一番。血が通った和風の家を今、見直す!!
間取りとは、家族個々の“部屋取りパズル”ではない!日本住宅建築の第一人者が熱く説く「今や日本の家は決して狭くありません。」小さく造って広く住む知恵に学べ。
しばらく前に、さる外国人が日本の家を見て、「兎小屋のようだ」と言ったということが伝えられました。この言葉を聞いた日本人の反応は、「やっぱりそうか。日本は先進国の仲間入りをしたが、住まいのレベルは、まだまだお粗末なのだ」こんなところだったと思います。
しかし、この、住まいのレベルの低さとは、具体的には何を指すのでしょうか。家の質ということも、むろんあるはずですが、最も端的に見えるものとしては、やはり、家の広さを意味するのでしょう。日本人の悪い癖で、外国人に何か指摘されると、すぐ自らを反省してしまうところがあります。兎小屋の話も、これからはもっと大きい家を建てなくちゃね、と反省してしまわない方がよいと思うのです。日本の家は、世界的に見ても、けっして狭くはありません。