キリスト教の近代性 神学的思惟における歴史の自覚

マイページに作品情報をお届け!

電子のみ

キリスト教の近代性 神学的思惟における歴史の自覚

キリストキョウノキンダイセイシンガクテキシイニオケルレキシノジカク

創文社オンデマンド叢書

【博士論文要旨より】
本論文は、近代のプロテスタント神学における 「歴史」の自覚過程を追跡し、プロテスタンティズムの神学的思惟の近代性およびそれの性格と意味と限界とを明らかにしようとした大著であって、それによって、いわゆる自由主義神学と弁証法神学に対する適正な評価を行なおうとするとともに、現代神学の諸問題に対するみずか らの位置と態度とをたしかな らしめようとするものである。
本論文は、10章か ら成る。
第1章 「キリスト教の本質への問い」は、近代人における歴史意識の深化と 「本質」追求との葛藤と絡まり合いに因由する近代のキリスト教神学史の展開を省察しつつ、本論文全体にかかわる問題提起を行なっている。 その際、以下の章に述べ られる近代のキ リスト教神学における歴史性の 自覚の深まりを分析検討することが、キリスト教の本質の弁証を目ざすものであることが記 されている。
第2章から第5章にいたる諸論考は、シュライエルマッハー、F.C.バ ウル、 A.リッチュル、トレルチ等のいわゆる近代の自由主義神学について、特にそれらの人々の歴史観についての叙述であるが、単にそれぞれの学者たちの個別的な見解を詳述するというだけではなく、それらの相連関するところと相違する点とを明らかにし、さらに到る処で、著者自身の批評的見解をも併せ述べている。
第6章から第9章にいたる諸論考は、K.バルト『ローマ書』 (DerRomerbrief、1919) に出発するいわゆる弁証法神学とその特質、展開、分裂等について述べ られ、特にバルト及びブルトマンについて著者の詳密な研究 と批判的見解や疑問点が記されている。例えば、バルト的な救済史の神学は、神学者の閉ざされた自己内循環に陥 っているのではないかとか、ブルトマンの実存論的解釈学は、現代社会の人間問題に対して、具体的にどのように答えるのであろうか、等の疑問が提示 されている。 また、これらの章において、きわめて広範多岐にわたる現代神学の代表的思想家、例えば、ゴーガルテン、 E.ブルンナー、チィリッヒ、モルトマン、パ ンネンベルク等について、すぐれた解説が行なわれている点も注 目される。
結語をなす第10章は、著者の近代神学史におけるもろもろの歴史観についての総括的批判 と今後あるべき 「歴史」の神学について著者の若干の志向と展望とを述べている。そこで、著者は、19世紀神学 と弁証法神学との関係を単に非連続的とみなす見解をしりぞけ、究極的には、両者の相互的な否定的媒介が要求されると考えている。 そういった点を踏まえて、キリスト教の 近代的歴史性に関する諸問題は、 新たな「歴史」神学 として展開さるべきであり、そのために、本論文は、著者にとって、不可欠の準備作業をなすものであるとされる。


Ⓒ 

  • 前巻
  • 次巻

オンライン書店で購入する

目次

第一章 キリスト教の本質への問い
第二章 神学的領域における歴史的個体性の発見(シュライエルマッハー)
第三章 歴史的運動としてのキリスト教(F・C・バウルの神学的歴史理解)
第四章 神学的歴史理解における人格性の意義(A・リッチュルの価値判断)
第五章 宗教史としての神学の意味、キリスト教的エトスの歴史性(トレルチの意義)
第六章 神の言の弁証法としての歴史性(弁証法神学の出発点と方向づけ)
第七章 「信仰の類比」の救済史(バルト神学への反省)
第八章 神学の実存論的歴史性(ブルトマン神学における歴史理解)
第九章 キリスト教の弁証の歴史性(実存論神学と「伝道の神学」と「弁証神学」)
第一〇章 結語
あとがき
索引

書誌情報

電子版

発売日

2025年03月10日

JDCN

06A0000000000397186F

著者紹介

著: 森田 雄三郎(モリタ ユウザブロウ)

1930~2000年。神学者。同志社大学名誉教授。京都大学大学院文学研究科基督教学専攻満期退学。ニューヨークのユニオン神学校にて神学修士号取得。京都大学文学博士。 著書に『キリスト教の近代性 神学的思惟における歴史の自覚』『シュヴァイツァー』『キリスト教の四季 宗教の本質』『現代神学はどこへ行くか』『神なきところに神を見る』などがある。

オンライン書店一覧

関連シリーズ

BACK
NEXT

製品関連情報