講談社学術文庫作品一覧

つくられた桂離宮神話
講談社学術文庫
〈桂離宮の発見者〉とされるドイツの建築家ブルーノ・タウトは1933年に来日、翌年「ニッポン」を刊行し、簡素な日本美の象徴として桂離宮を絶讃した。著者は、タウトに始まる桂離宮の神格化が、戦時体制の進行にともなうナショナリズムの高揚と、建築界のモダニズム運動の勃興を背景に、周到に仕組まれた虚構であったことを豊富な資料によって実証する。社会史の手法で通説を覆した画期的日本文化論。

ドイツ教養市民層の歴史
講談社学術文庫
19世紀から20世紀始めにかけての近代ドイツの精神形成に大きな影響を与えたといわれる教養市民層。政治や社会、文化の各方面にわたって圧倒的な力を誇ったこのエリート層の思想と行動を、マックス・ヴェーバーの英独比較論を手がかりにしながら、宗教社会学的見地に立って分析。ナチズムを招来した歴史のなかで、ドイツ教養市民層が果たした役割とその性格を考察した、画期的なドイツ精神史論。

日本古代国家の成立
講談社学術文庫
四世紀の崇神天皇に始まり三輪政権が、応神天皇を始祖として瀬戸内海の制海権を握った河内政権により征服させる過程や、壬申の乱の後に天武天皇が実力で全権を掌握するまでを綿密に解説。また稲荷山古墳鉄剣銘を独自に読み解き、雄略天皇の日本統一をめざした戦いを明らかにするなど、古墳や遺物に秘められた謎を著書ならではの緻密な分析と推理で解く。古代史の奉斗による日本国家成立の大検証。

保田與重郎
講談社学術文庫
近代日本の文明開化を徹底批判し、戦後は好戦的文士として公職追放を受けた保田與重郎。著者は、厖大な資料を駆使して、保田の戦時中の歩みだけでなく、戦後30数年に及ぶ思想の一貫性を確認。戦時下の保田があれだけ若者を魅きつけたのは、日本主義や好戦思想のためでなく、「死」を真に意味づけうるものが、その真摯な思索の中にあったからだと説く。復古派文人・保田與重郎の批評精神の軌跡。

戦後日本政治史
講談社学術文庫
ますます混迷の度を増す日本の政治。一体この政治状況は、いかなる経緯から生じたのか。そしてこの先、日本の政治はどこへ行こうとしているのか。近代における政治・思想の変遷を遠望しつつ、GHQ指導下の民主改革以降、五五年体制の成立から崩壊までを核に戦後政治の軌跡を克明に検証し、日本政治の特性と内包する諸問題を明らかにした。戦後政治を理解し、明日の日本を考えるための今必読の書。

『オイディプ-ス王』を読む
講談社学術文庫
ギリシア悲劇の中で最高傑作といわれ、アリストテレースも激賞した「オイディプース王」。アポローンの神託の成就と、そこに描き出された人間存在の悲劇性を浮き彫りにしたこの「オイディプース王」を文学として捉えなおして徹底的に解読吟味する。悲劇としての巧みな劇構成、そして、今なお私たちに問いかけてやまない人間存在の本質――時空を越えて輝くギリシア悲劇の魅力を読みつくした意欲作。

近世日本国民史 維新への胎動(下)勅使東下
講談社学術文庫
文久2年10月、正使三條實美、副使姉小路公知の両勅使東下。将軍家茂と相見し、攘夷実行、親兵選貢を旨とする勅書を授くるに、家茂勅諚奉戴の答書をたてまつる。巷間、志士による私刑横行し乱世の兆し顕著にして、幕威ますます墜つ。一方、幕府を通ぜず諸大名に直接命令を下されるがごとく朝権一層伸張し、天皇親政の実を半ば現呈せんとする形勢。今や「尊皇攘夷」は理想でなく現実となり来った。

実存から実存者へ
講談社学術文庫
リトアニアに生まれ、ストラスブール大学に学んだ後フランスに帰化したユダヤ人哲学者レヴィナス。第二次大戦に志願するがドイツの捕虜収容所に囚われて四年を過ごし、帰還後ユダヤ人を襲った災厄を知る。かつての師ハイデガーのいう〈支配する主体〉の対極に、レヴィナスは〈現存者〉を措定、戦争で露呈した現代人の〈実存〉の運命を考察する。時代を深く予見したフランス現代思想の巨匠の代表作。

日本憲法思想史
講談社学術文庫
本書は、法思想における国体論をはじめ穂積八束・上杉慎吉・美濃部達吉など代表的な憲法学者の法理論を追究し、さらに敗戦史の法哲学から国民主権と天皇制、マッカーサーと戦後民主主義、日本国憲法の正統性問題までを論じた。旧憲法学史研究には、ケルゼン的なイデオロギー批判的手法をとり入れ、新憲法については、戦後民主主義の忠実な擁護のつもりという著者が説く、日本国憲法の思想と歴史。

小泉八雲新考
講談社学術文庫
多くの日本の読者を魅了し続けている小泉八雲。八雲についての研究は今なお盛んである。昭和11年に発表された本書は、松江時代に比べて看過されていた熊本時代の八雲の人と作品を、実地踏査や発掘した手紙・資料によって鮮かに浮き彫りにしている。とくに八雲を文学者としてだけでなく民俗学者として捉えた点は、八雲を理解する上で画期的な書といわれる。八雲研究の歴史的論考、待望の復刊なる。

現代のキリスト教
講談社学術文庫
近代の人間本位の神学は神の絶対性を見失わせて、20世紀のニヒリズムを生んだ。このためカール・バルトは再び神の側からの発想を取り戻した現代神学を構築した。本書はこの現代神学の古典時代から「神の死の神学」、西田哲学との共通点も指摘される「プロセス神学」、さらに中南米を中心とした「解放の神学」や米国起源の「フェミニスト神学」まで現代のキリスト教を興味深く説く書下ろし力作である。

社会哲学の復権
講談社学術文庫
現代思想に大きな影響を与えた20世紀ドイツの思想家は、社会をどう捉えていたか。フランクフルト学派の論客としてあらゆる同一性を批判したアドルノや、英雄的実証主義と賞讃される一方で権力政治家とも批判されるウェーバーなどの多面的な実像を追求。アドルノのもとへ留学し、ウエーバー評価で名高い64年ドイツ社会学会に立会った筆者が、社会科学との対決を通じて哲学の復権を図る意欲作。

王女ク-ドル-ン
講談社学術文庫
絶世の美女、王女クードルーンが略奪された。王女に許婚者がいるのを知りつつこの暴挙に出たのは、王女に横恋慕するノルマンディーの若き王、ハルトムートであった……。「ドイツのオデュッセー」と評され「中高ドイツ語文学中の最高傑作」とも賞された、『ニーベルンゲンの歌』とならび立つ中世ドイツの傑作長編英雄叙事詩。待望久しい、中期高地ドイツ語原典からのわが国初のオリジナル完訳版成る。

聖と呪力の人類学
講談社学術文庫
聖なる秘仏は呪力を持つとされ、人びとはこの力の現世利益(げんぜりやく)を求めて集まる。著者は、このような仏教と呪力信仰との関係を理解するためのヒントを民俗信仰のなかに見る。たとえば、わが国の民俗レベルの呪力信仰の中心に活躍するシャーマンたちとその宗教施設は、東北や南西諸島に限らず、むしろ東京などの大都市圏に多く存在するという。聖と呪力をめぐる問題を宗教人類学的に考察した期待の力作。

私という現象
講談社学術文庫
文学も実人生も虚構であることに変わりはない。事実そのものがすでに操作されたものなのだ。私をひとつの現象と見なす考え方は、文学作品の質を、それが事実に基づくかいなかによって判断しようとする立場を無効にする……。〈自我の崩壊〉ということ自体が主題となった現代文学の困難を的確に解説、〈現象としての自己〉の様々なありようを、物語の終焉を体現する作家達を通して考察した第一評論集。

細川幽斎
講談社学術文庫
足利義輝・義昭の2人の室町将軍を支え、信長・秀吉・家康の3人の天下人から信任されて近世細川家の祖となった細川幽斎(藤孝)。戦国武将として乱世の興亡を生き抜く中で若くして歌道に志し、二条家の古今伝授を受けた幽斎は、古典、茶の湯、料理、音曲、礼式、有職故実など、あらゆる学芸の理を究めた。馬と茶の湯を知らぬは武士の恥、と説いた稀代の文人武将の波瀾の生涯をいきいきと論述する。

論文の技法
講談社学術文庫
本書は論文を書く人のための技法書です。それだけでなく、論文をどう書き始めたらいいのか困ったときに、また論文を書くことに飽きたり、行き詰まったり、恐怖心をいだいたりしたときに、ちょっとしたヒントと勇気づけを与えてくれる本です。アメリカの著名な社会科学者が、長年にわたる自らの論文指導の体験をもとに、論文作成の基本的な考え方とその方法を、具体例を示しながら説いた必携の書。

ユングとキリスト教
講談社学術文庫
精神医学者として著名なユングはすぐれた思想家でもあった。中心的課題を西洋精神の本質の追究におく彼は手懸りをキリスト教精神史に求め、原始キリスト教の成立過程、グノーシス主義の影響等を深層心理学的見地から再検討し、従来看過されてきた重大な問題点を見出した。ユングの思索を追うことにより、キリスト教における正統信仰確立過程で切り捨てられてきた影の領域の復権を迫る意欲的論考。

近代日本精神史論
講談社学術文庫
未開ならぬ半開の日本を文明段階に早急に導くことを使命とした福沢諭吉。国際社会は文明の進歩ではなく力の闘争が発展される場で、日本の地位をいかに向上させるかを課題とした徳富蘇峰。これら代表的思想家の言説を中心に、明治、大正、昭和の思潮を解説。英雄崇拝的心情を培った明治、快楽主義の「耽溺青年」を生んだ大正、〈近代の超克〉が強調された昭和の「近代日本精神史」を辿る文庫オリジナル。

中国的レトリックの伝統
講談社学術文庫
本書は、レトリックに見る中国人独特の思考とその生き方を探ろうとするものである。古くは「建安七子」の1人で悪口(あっこう)のレトリックの名手・陳琳(ちんりん)、杜甫(とほ)以前の中国最大の詩人と目される曹植(そうしょく)から革命家・毛沢東までを取りあげ、彼らの巧みな表現、言い回しとその発想を読み解く。さらに現在日本の文学者のなかで、高橋和巳、武田泰淳ら中国的レトリックを自在に駆使した作家への影響をも明らかにする。